1968年 1968年

混乱と暴動

八百長疑惑の混乱期

「あの日(1968年7月30日)はよく覚えているよ。石投げたり、火付けたりの暴動だ。機動隊が何百人もやって来て。騒ぎは夜中まで続いたんだ」と振り返ってくれたのは荒川岩雄県議(78)。荒川県議は大学生から司法試験浪人時代まで、浦和競馬場でアルバイトをしていて、人一倍浦和競馬に思い入れが深い。アルバイトの経緯は次回に譲って話は当日。
 第8レースの経過と配当金額に不審があるとファンの一部が騒ぎ、数百人が払戻所や投票所を襲撃、投石、放火して1700万円を強奪、32人が摘発された。「浦和競馬暴動」「浦和騒動」といわれる大騒動だ。
 翌日の埼玉新聞によると、第8レースの本命は②-①だったが、結果は無印大穴の⑤-④。しかし配当金が連勝で490円。単勝300円。複勝1着140円、同2着250円。確かに金額だけ見れば大穴どころか、本命に近い配当金額。この結果に②-①の本命を買ったファンと、⑤-④の大穴を狙って買ったファンが配当額に不満を持って「八百長だ!」と騒ぎ出した。

  • 1968年7月31日付の埼玉新聞記事
    1968年7月31日付の埼玉新聞記事


 結局、この大騒動での八百長は立証できなかったが、当時は八百長疑惑などでファンが騒ぐ小競り合いが後を絶たず、実際に八百長や恐喝容疑などで騎手や暴力団関係者などが逮捕される事件があった。こうした不信が一気に爆発した事件と捉えられていた。
 しかし、荒川県議は「あれは一般ファンを扇動して騒ぎを起こし、混乱に乗じて現金を奪って逃げる騒動屋というのが起こした事件だ。逮捕者は乗せられた一般ファンだけ。プロは逃げた。騒動屋のそんな騒ぎは他の競馬場でもちょくちょくあった」いう。
 「八百長もあったな。でも成功しない。八百長なんて50回組んで1回成功するくらいの確率。ある時なんかレースが終わってから若い騎手が、『何で俺の言う事(八百長)きかないんだ』って、ヤクザにひどく殴られてるのを見てね、可哀そうだった。相手が馬だからね、素直に言うこと聞かないよ」。
 県をはじめ競馬場関係者も手をこまねいていたわけはない。特に警察の取り締まりは日に日に厳しくなった。騒動屋はもちろん、馬券の予想教示を装いファンから現金をだまし取るコーチ屋やノミ屋の姿も少なくなっていった。そして「浦和競馬近代化」への弾みとなったのが72年だった。

※ 2018年3月17日(土)掲載

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