2009年 2009年

危機からの脱出

 競馬予想士の高瀬孝也さんは、南関東4場(浦和、大井、川崎、船橋)をはじめ地方競馬の内情にも詳しい。「他の競馬場と比べて浦和は行政、競馬場(競馬組合)がものすごく努力している。施設整備からファンサービス。周辺自治会など地域との関わり合いも深い。この他にはない温かみが浦和競馬です。その辺が、駅から近いこんな住宅街で、度重なる経営危機を乗り越えて今もある浦和競馬場の底力ですよ」と語った。
 「ことし赤字なら廃止」「あと1年もつか」などとささやかれる年が続いたが、2006年の南関東4場のネット馬券発売、賞金アップなど必死の経営努力が実り、単年度黒字を出し、コツコツ努力を重ねて09年度には累積赤字解消まで持ってきた。
 努力の積み重ねは僥倖(ぎょうこう)を生む。「競馬関係者の会議でJRA(日本中央競馬会)の幹部から声を掛けられた。あれがあったから今がある」と振り返るのは野口孝調教師。「埼玉県内でのJRAの場外発売を、競馬以外の公営競技が誘致に動いているって言うんです。馬券を競馬場以外の競技場で売るなんて不自然。そうなったら大変だ」。10年のことだった。

起死回生のウインズ

 浦和競馬場を運営する浦和競馬組合のトップは上田清司知事。事務方トップは県から出向の副管理者。この時は就任間もない杉田勝彦氏(69)。「まだ右も左も分からない状態のなか野口調教師が急がないと間に合わない、誘致に動いてくれと。でも話を聞いてピンときた。馬を走らせないで現金(販売手数料)が入ってくる。大きなレースなら数万の人が入場する。競馬場も活気づく。やるしかない。知事に承諾を頂き、すぐに動きました」。JRAとの折衝。住民説明。山積の課題、難題との格闘が始まった。
 「よくやってくれた。杉田さんがあの時、素早く動いてくれたから実現できた」と野口調教師。
 JRAの場外売り場「ウインズ浦和」で初めて馬券が発売されたのは12年のフェブラリーステークス。招致開始から発売実現までわずか2年の電光石火。「ベクトルが同じだから。職員をはじめ関係者が2年間一体になった。必死でした」と杉田氏は振り返った。
 第2次安倍政権のアベノミクスによる景気回復も追い風に、V字回復が一気に実現。16年度の総売り上げは389億7500万円とあのバブル期を抜いてついに史上最高額を記録した。

※ 2018年3月20日(火)掲載

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  • 2016年当時の浦和競馬場
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  • 大型ビジョン設立また一般公募により愛称決定
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  • 競馬場内で不定期に実施されるポニーとのふれあい
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  • 南区ふるさとふれあいフェア(さいたま市)は浦和競馬場が会場となる=2016年
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